トゥールスレン S21 カンボジア プノンペン
S21は、クメール・ルージュ(カンボジア共産党)支配下のカンボジア(民主カンボジア)において設けられていた政治犯収容所の暗号名である。
稼働中は存在そのものが秘密であったため公式名称は無い。現在は地名を取ってトゥール・スレン(クメール語: ទួលស្លែង、英語: Tuol Sleng)と呼ばれており、国立のトゥール・スレン虐殺犯罪博物館(クメール語: សារមន្ទីរ ឧក្រិដ្ឋកម្មប្រល័យពូជសាសន៍ទួលស្លែង、英語: Tuol Sleng Genocide Museum)となっている。
2年9か月の間に14,000~20,000人が収容されたと言われ、そのうち生還できたのは8人(現在身元が分かっているのは7人)のみであった(これまでは7人とされていたが、2007年、別の刑務所に移送されたため生き残った女性1人が名乗り出た)。



移動

キリング・フィールドから移動。

トゥクトゥクで約40分。
7ドル。




場所

プノンペンのトゥール・スレン




名称

トゥール・スレン虐殺博物館

(Tuol Sleng Genocide Museum)

当時は拘置所の存在そのものが秘密であったため、正式名称がなく「S21」と呼ばれていました。

元は高校の校舎でした
元は高校の校舎でした↑




入場料

6ドル(日本語音声ガイド付き)

この音声ガイドは大変、分かりやすかったです。

音声ガイドツアー




音声ガイドより

「トゥール・スレンでは加害者も被害者も制限された生活を送っていました。中には若い収容者に恋する加害者もいましたが、話すことや触れ合うことは許されませんでした。もしも、そういうことをすれば、告発されて処刑されるかもしれなかったので、気持ちを押し殺すしかなったのです。そして、押し殺した恋心が被害者への怒りに変わっていきました」




感想

当時のままの建物。
床のシミ、壁に付いた傷、壁から突き出た金具。
恐ろしさで、鳥肌が立ちました。

ここでは、10代の若者が洗脳され働かされおり、彼ら自身も「いつ罪に問われる(拷問・処刑される)かもしれない」という不安と戦いながら日々過ごしていたようです。

このような極度の不安、制限された生活等により、かなりのストレスがかかり、それを発散する先が被害者であったとのことです。

そういう意味では彼らも被害者と言えるかも知れません。


恐怖、戦慄、怒り…の感情の後、私は何だかやるせない気持ちになりました。




参考

トゥール・スレン虐殺博物館については、ネット上にたくさんの情報が出ています。その中でも「読みやすい」と思ったものを紹介させていただきます。


●ウチヤマヒロミのぶら世界





感想

キリング・フィールド
もそうでしたが、ここに訪れるまでは正直、ほとんど関心もなく、虐殺のことは全く知りませんでした。

今回、見学することができ、すごく勉強になりました。

慰霊の意味でも、負の歴史を繰り返さないためにも多くの人にここを訪れ、現実を知ってほしいと思います。


*関連記事






旅ラジオ








2017年07月01日 初回投稿
2017年12月22日 一部修正
2020年07月03日 一部修正
2021年04月04日 旅ラジオ配信
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